『ナミビアの砂漠』は、山中瑶子監督による2024年公開の日本映画。現代を生きる一人の女性の姿を独特の視点と表現方法で描いた作品。山中の映画監督としてのキャリアは以下の通りとなる。
- 2017年:19歳で『あみこ』を監督、PFFアワード2017で観客賞を受賞
- 2018年:『あみこ』が第68回ベルリン国際映画祭フォーラム部門に史上最年少で招待される
- 2018年:オムニバス映画『21世紀の女の子』で「回転てん子とどりーむ母ちゃん」を監督
- 2020年:ndjcプログラムで『魚座どうし』を監督
そして2024年、本格的な長編第一作となる『ナミビアの砂漠』が第77回カンヌ国際映画祭で国際映画批評家連盟賞を受賞する。山中は、若くして国内外の映画祭で高い評価を受け、日本映画界で最も注目される若手監督の一人である。
主演は「あんのこと」「ルックバック」「不適切にもほどがある!」などで注目の若手女優・河合優実。河合は山中監督の前作『あみこ』に感銘を受け、出演を熱望していたことから、両者の念願のタッグが実現した。
あらすじ
21歳のカナは人生に目的を見出せず、何事にも情熱を持てずにいる。彼女は日々を無為に過ごし、恋愛さえも暇つぶしのように感じている。カナは当初、身の回りの世話をしてくれる優しい恋人・ホンダと同棲している。だが彼を「優しくても退屈な男」と感じ、次第に自信家のクリエイター・ハヤシと関係を深めていく。
非日常を求めるカナ
カナはハヤシに理不尽な理由をつけ、傍若無人な態度で接する。その理由を論理的に説明することは容易ではない。だが私は、彼女は無意識的に人生の中に椿事を求めているのからだと考える。同じ日常が続くと次第に感情の起伏がなくなり、心は乾いた砂漠のようになってしまう。その状況に耐えきれない彼女は、ハヤシに感情をぶつける。感情をぶつけることによって、相手も自分に感情をぶつけてくれる。そうすることで安定した日常は混沌の非日常へと変わり、砂漠でオアシスを見つけたかのような興奮が呼び起こされる。カナ自身はそのメカニズムに気付いてはおらず、なぜ自分が不遜極まりない態度をとってしまうのかを説明することはできないだろう。しかしそれらの態度は、カナ自身が貪欲に人生の楽しみを求めているが故に引き起こされているのではないだろうか。
ルームランナーで走るカナ
最も象徴的な場面はルームランナーのシーンだろう。ハヤシとの喧嘩の最中、カナがルームランナーの上で走っている様子が突然映し出される。走っている場所はピンク色の背景の撮影セットのような場所で、カナはカッパえびせんを食べながらさっきまでの喧嘩の様子をスマホでモニタリングしている。これは喧嘩中のカナの心の中であり、喧嘩の様子を冷静に客観視しているということの比喩的な映像表現だろう。次に場面は女性カウンセラーとの会話に移る。カナはカウンセラーを食事に誘うが断られてしまう。さらにキャンプ場にも場面は転換する。キャンプ場にはいるはずのないお隣さんの女性と会話を交わし、キャンプファイヤーの上を陽気に何度も飛び越える。
比喩的な映像表現がいきなり挟み込まれることに驚くが、このような場面があることでカナの心情が一段と考察しやすくなった。まず彼女は感情に飲み込まれて喧嘩をしているわけではなく、どこか冷静に対処する心も持ち合わせているということがわかる。プロレスのようにエンターテインメントとしての喧嘩をしている意識なのではないだろうか。そして、カウンセラーとお隣さんが登場するのは、カナが無意識的に心を許せる女性を欲していたからだろう。現実世界でも女性の友人はいるが、友人との会話にはどことなく隔たりがあり、カナはつまらなそうであった。カナの心のうちを曝け出せそうな女性の候補としてカナの頭の中にいたのがこの二人だったのではないだろうか。現実から乖離したこれらの場面が差し込まれることで、カナがただの救いようのない社会不適合者ではないということがわかるようになっている。
嫌いになれないカナという人間
彼女は浮気をし、嘘をつき、暴力を振るう。この文章だけを読むと最悪な人間だろう。だがずっと見ていても彼女のことを嫌いにはならない。なぜなら彼女の言動からは、社会に抗う人間の強さを感じるからだ。カナの態度及び言動は、到底社会で容認されるものではないだろう。だがこれは圧倒的な自己主張でもあるように捉えられる。社会の中でも特に女性の声は押し殺され、思ったままの意見を主張することは困難であった。今でも女性という性を授かっただけで、不必要な区別がされる。その状況下で生きていると、自ずと感情を隠して慎ましく生きる選択になってしまうが、カナは違う。カナはハヤシが前の彼女との子供を堕したことに対して過度に嫌悪感を露わにし、暴力によって糾弾する。それはさながら、無理やり堕胎させられた当事者であるかのような剣幕である。カナは抑圧されてきた女性の怒りを自分の心の中で増幅させ、代弁者として叫ぶ。その姿からは、社会が規定したものではない自身の正義で社会と戦う逞しさを感じさせる。私は、社会をはじめとする誰にも縛られる気はないという意志を全身全霊で伝えるカナのことを嫌うことができない。(実際に関わりたくはないが…。)
総括
この映画は一人の女性の生活をただ淡々と映している。そして我々観客はただ淡々と彼女の生きる姿を眺める。物語は静かに進み、劇的な転換点はない。しかしながら主人公・カナの一挙手一投足から眼が離せない。河合優実の演技にはひたすら感服する。カナの日常生活をのぞき見るようにして撮られた映像を見ることは、まるでカナが眺める砂漠のライブ配信を眺めるのと同じだ。カナが日常に刺激を求めるように、私たちはカナに変化が起きないかを見続ける。このような多重構造がひっそりと仕組まれていることに畏敬の念を抱く。考察の余念はまだある。この映画は想像以上に深い。
以上。