【映画】『シビル・ウォー アメリカ最後の日』信念が写す戦場の拍動

『シビル・ウォー アメリカ最後の日』のポスター アクション
『シビル・ウォー アメリカ最後の日』

監督・脚本は『エクス・マキナ』『MEN 同じ顔の男たち』などを手掛けたアレックス・ガーランド。出演はキルステン・ダンスト(リー・スミス役)、ワグネル・モウラ(ジョエル役)、スティーヴン・マッキンリー・ヘンダーソン(サミー役)、ケイリー・スピーニー(ジェシー・カレン役)など。ケイリー・スピーニーは『エイリアン・ロムルス』では主演を務め、今後の活躍も期待される女優である。製作はA24。本作はA24史上最大の製作費(推定5000万ドル)を投じた作品で、全米で2週連続No.1を獲得した。ジャンルとしてはディストピア・アクション・スリラーで、アメリカの政治状況を如実に反映した設定と、圧倒的な没入感で描かれる内戦の様子が見どころである。

あらすじ

近未来のアメリカ。19の州が連邦政府から離脱し、テキサス・カリフォルニアからなる西武勢力vs政府軍の内戦が勃発していた。4人のジャーナリストは独裁的な大統領への取材を試み、ニューヨークからワシントンD.C.へ車を走らせる。彼らはその道中、戦争が生み出す真の恐怖と狂気に直面する。

妖しくも美しい映像

アレックス・ガーランド監督の作品には『エクス・マキナ』『MEN 同じ顔の男たち』などがあり、両者とも特徴的な映像美を感じられるが、本作からもガーランド監督の映像へのこだわりが見て取れる。特に私が好きな場面は、パステルカラーのブルー、ピンク、グリーンのスプレーペイントがされているコンクリートの壁に、ジェシーが背をもたれて座っている場面だ。人物の背景に色があるだけで、まるで彼女だけにスポットライトが当たっているかのように見える。また、銃撃から身を守るためにリーが草の上に寝そべっているシーンも良い。小さな青い花たちが揺れる若草に包まれ、安らかな表情で横たわるリー。その表情はまるで今銃撃戦に巻き込まれていることを忘れているかのようだ。

本作の映像は、一言で言うと綺麗だ。だがその美しさは妖しく、どこか幻想のようにも感じる。その美しさにのめり込んでしまうと、何か大事なことを忘れてしまいそうに感じるのだ。夢か現かの判断を鈍らされてしまうような感覚だ。しかしその感覚は心地良いがために、私は映像の中に引き摺り込まれてしまうのだ…。

恐怖!赤いサングラスの男

本作で最も戦慄するシーンを聞かれて誰もが真っ先に思い浮かぶのは、赤いサングラスの男のシーンだろう。彼の傍には大きな穴が掘られ、トラックから雪崩のように落ちてくる大量の死体を穴に落としている。そして穴の中に折り重なる死体の山は武装した兵士ではなく、私服の市民だ。赤いサングラスの男は銃を携えてリーたちに問いかける。「What kind of American are you?(どの種類のアメリカ人だ?)」彼の問いかけはアメリカ社会の分断を表現している一方で、アメリカ人以外の外国人への差別も含まれている。その場には中国人ジャーナリストが二人いたが、両者とも彼に殺された。一方は自然な会話の中で射殺され、もう一方も出身地を香港と答えた後に即座に射殺された。指を指すように他人に銃口を向け、迷いなく引き金を引く姿はさながら悪魔だ。彼のアメリカに対する大きな愛国心は彼の言動の端々から見て取れる。だがその一方で、アメリカ人以外を人間だと思って見ていない。それはアメリカ人以外に大きな憎しみを持っているからではない。それが当然の事実であると確信しているからだ。彼は呼吸をするように無意識に差別をしている。アメリカ人ではないと判断した人間を片っ端から殺していった結果、目を背けたくなるような死体の山が築かれたのだろう。そしてその行為は紛れもない犯罪だ。戦争は犯罪行為をも正当化する口実となる。それが、赤いサングラスの男が教えてくれたことだ。

なぜ彼女らカメラマンは戦闘の最前線に立てるのか

本作で目を見張るのはジャーナリストたちの勇敢さだ。中でも特に驚くのは終盤のジェシーの姿だ。彼女は弾丸飛び交う中でも前へ前へと進んで行く。ほとんど装備がないにも関わらず、自分の命を顧みずにシャッターを切り続ける様子は正気の沙汰ではない。なぜ彼女らは戦闘の最前線に進んで躍り出て、冷静にカメラを構えることができるのだろうか。戦場という極限のストレスがかかる場所にいるためアドレナリンが大量に出ているからとも考えられる。しかし私は彼女がカメラマンという職種ゆえにできる行動なのではないかと考えた。なぜかというとカメラは現実世界を切り取る道具だからだ。カメラを持ってファインダーを覗くと、流動的で掴みどころのない世界は固定され、小さな枠の中に収まる。そしてその枠を通して観測する世界は、普段私たちが両眼で観測している世界よりも一つ階層が上である。つまりカメラのファインダーを覗くことで、普段見えている世界の見え方を固定し、現実から一歩下がって俯瞰した状態で世界を観測できるのだ。その結果として戦場、ひいては自分自身の状況をメタ的な視点で見られるのではないだろうか。カメラという道具の持つ特性によって、戦場カメラマンは冷静でいられるのだ。

また、カメラマンが見ている時間軸が現在ではない、ということも理由なのではないだろうか。つまり彼女らは自身の生命が脅かされている現在を見ているのではなく、自分が記録した写真が後世に残る未来を見ているのだ。現在起こっている惨状を人々に伝え、人類が二度と同じ轍を踏まないようにする、という切なる願いが彼らにはある。彼女らカメラマンが切り取った無数もの瞬間が、未来へ響く警鐘となる。私のような一般人が知ることのできないような、自分の命と変えても惜しくないほどの光景が戦場にはあるのだろう。

引き継がれる使命と意志

序盤、ジェシーはリーに対して「私が撃たれたらその瞬間を撮る?」と尋ねる。リーはその問いにお茶を濁す。しかし終盤、実際に撃たれたのはリーであり、その瞬間を撮影したのはジェシーだった。ワシントンまでの旅路を通して、ジェシーはカメラマンとして成長した。なぜなら尊敬する人間の死の瞬間からも目を背けず、カメラに記録できるようになったのだから。カメラマンは目の前の出来事に惑わされてはならない。どんなに心が引き裂かれそうな場面を目の前にしても、ある種機械のようにシャッターを切ることができねばならないのだろう。それが戦場カメラマンが果たすべき使命であり、人生を通してリーが貫いてきたやり方だ。リーの使命と意志は、彼女の死によって正式にジェシーに引き継がれた。

総括

『シビル・ウォー アメリカ最後の日』は戦争の恐ろしさを如実に描写している。そして戦争カメラマンを始めとしたジャーナリストの勇敢さが身に沁みて理解できる。彼女らが数多の危険を潜り抜け生き延びてくれたおかげで、我々一般市民は詳細に戦況を知れるのだ。この映画を観て、カメラマンの信念が写す戦場の拍動を感じて欲しい。また劇中でのアメリカ国家の描写は、現在のアメリカの政治状況とも密接にリンクしている。私の浅い知識では語れない領域だが、本作のような内戦が、混沌を極める現在のアメリカで起こるというシナリオは誇大妄想ではないだろう。このような戦争が現実にもあり得るかもしれないという恐怖を人々に与え、その圧倒的な映像によって警告をする本作は紛れもない良作だ。

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