【映画】『ルックバック』前だけを見て描き続ける

ルックバックのポスター アニメーション
ルックバック

『ルックバック』(24)は、藤本タツキ原作の青春アニメ映画。2024年6月28日公開。監督・脚本・キャラクターデザインは押山清高。アニメ『電脳コイル』(07)で作画監督デビューをし、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』(09)『借りぐらしのアリエッティ』(10)『風立ちぬ』(13)など、数多くの劇場作品に主要スタッフとして携わった。又、藤本タツキ原作のアニメ『チェンソーマン』(22)では悪魔のデザインを担当した。主人公の藤野役には『あんのこと』(24)や『ナミビアの砂漠』(24)などの河合優実、京本役には『メイヘムガールズ』(22)や『カムイの歌』(24)などの吉田美月喜。

あらすじ

藤野は学年新聞で4コマ漫画を連載している小学4年生。彼女は自分の描いた漫画をクラスメイトや周囲の大人たちから称賛され鼻たかだかとしていた。そんなある日、不登校の同級生・京本の漫画が新聞に掲載され、藤野はその絵の上手さに衝撃を受ける。藤野は京本に負けじと闘志を燃やし、日々絵を描くことに打ち込んでいく。

井の中の蛙、大海を知る

本作の主人公藤野は、言うなれば井の中の蛙である。周囲の大人や同級生に誉められていることで、漫画、ひいては絵に関して自分が同学年の中でいちばん優れていると思い込んでいる。しかし自分よりも絵が上手い京本の存在を知り、激しいショックを受ける。これは誰しもが一度は通過したことがある経験ではないだろうか。自分の周りの人間は全員自分を褒めていたが、それが方便だと気づいた時、今まで見てきた世界の見え方はガラリと変わる。その時にどんな対応を取るかは人によるだろう。直視し難い現実が目前に迫った時、目を背けてしまうことだってある。しかし藤野はその現実に正面から向き合うという選択を下した。一生懸命に絵の練習を重ねて、京本よりも上手くなろうと努力をした。そして私はこの行動をした藤野を純粋に尊敬した。藤野は6年生になって絵を描くことをやめる決断をしてしまうが、約2年間ひたすら続けていた事実は並大抵の人間ができることではない。藤野に絵を描くことへの情熱が元からあったのはもちろんだが、絶対に他人に負けたくないという意地、もっと上手くなってたくさんの人間に誉められたいという欲求はここまで人を駆り立てて動かすものなのかと感心をした。

無敵の藤野スキップ

京本に卒業証書を届けた後、藤野が雨の中スキップをしながら帰るシーンは最高だ。独特なスキップの動きの作画も素晴らしい。上機嫌になった藤野は雨に濡れてもお構いなしだ。なぜなら追い越すことを目標にしていたはずの京本が、実は自分の大ファンだったからだ。おそらくこの場面の彼女は無敵だろう。嵐さえも跳ね除けてしまいそうなエネルギーがある。そして体から滴る雨水で濡れる家の床を横目に、一目散に部屋の机に向かう。そして彼女は再びスケッチブックを開き、ペンを執る。心から称賛してくれる人間が一人いるだけで、人はこんなにも活動的で前向きになれる。誰かを想って一生懸命になれることは、人生で最高位に位置するほどの尊いことだ。漫画を描く真の理由を見つけた藤野の背中に迷いはない。この描写は全身を使って喜びが表現されており、素晴らしいとしか言えない。

藤野の人生を変えた京本

漫画の道を歩む藤野と別れて美大に通っていた京本は、突然の凶行によって命を落としてしまう。京本の葬式を終えた後、藤野は京本を部屋から連れ出さなければ良かったと後悔する。藤野は、自分自身の行動が京本の人生を変えてしまったと思い込んでいるのだ。しかしこの出会いで人生が大きく変わったのは藤野の方なのではないだろうか。なぜなら藤野が漫画家として大成できたのは京本と出会って再び絵を描き始めたからだ。京本は藤野に出会わなかったとしても絵を描き続けただろう。それに藤野の描く漫画のファンだった京本は、その後の人生で少なからず藤野からの影響を受けていたはずだ。一方で藤野は京本に出会わなかった場合、もう二度と漫画を描くことはなかっただろう。そのためその後の人生で京本の存在を思い出すことはなく、その後の人生でも京本からの影響を受けることはなかっただろう。藤野が絵を描き続けているのは、京本が藤野の描いた漫画を褒めた結果だ。京本が悲劇に巻き込まれたのはもちろん藤野のせいではないし、藤野が自分の行動を悔いるのは的外れな感情だ。二人の出会いが、お互いの人生にとって最高に幸せな出来事であったことは言うまでもない。

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』との関係

原作漫画の『ルックバック』の最後のコマにはある映画が描かれている。それは『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(19)だ。この映画は『ルックバック』と大きく関係がある。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(以下『ワンアポ』)は、レオナルド・ディカプリオとブラッド・ピッドが主演のクエンティン・タランティーノ監督による2019年の映画だ。2つの作品を見比べると、藤本タツキは明らかにこの作品を意識して『ルックバック』を作ったとわかる。オマージュしていると簡単にわかるのは救急車のシーンだ。藤野が京本を救出するために殺人鬼に立ち向かった後、藤野は救急車で運ばれる。このシーンは『ワンアポ』でも同じような構図で描かれている。ブラピが藤野ポジションで、ディカプリオが京本ポジションだ。また、『ワンアポ』は実際にあった事件の有り得たかもしれない未来を描いているという点で『ルックバック』と共通している。『ワンアポ』で描かれている事件は「シャロン・テート事件」だ。この事件は、1969年8月9日、ハリウッド女優のシャロン・テートが、チャールズ・マンソンが率いるカルト集団「マンソン・ファミリー」によって殺害された事件だ。当時、テートは映画監督ロマン・ポランスキーの妻で、妊娠8ヶ月だった。この事件は1960年代末のハリウッドとアメリカ社会全体に大きな衝撃を与えた。一方で『ルックバック』が題材にしたと思われる実際の事件は「京都アニメーション放火殺人事件」と「津久井やまゆり園連続殺人事件」、さらに「京都精華大学通り魔殺人事件」だ。原作の当初の犯人の台詞及び本映画の台詞が「京都アニメーション放火殺人事件」通称「京アニ事件」の犯人を想起させるものだった。その後、単行本の出版に際して台詞は変更されたが、修正後の犯人の台詞は「津久井やまゆり園連続殺人事件」の犯人を想起させるものに変更された。また作中で起きる事件が「山形美大生通り魔殺人事件」と呼ばれており、大学生が被害に遭う設定が「京都精華大学通り魔殺人事件」と重なる。これらの共通項から、藤本自身が実際の事件を元に本作の構想を練ったことが推察される。そしてタランティーノ監督は悲劇を回避した結果を描いてるが、藤野タツキは違う。京本の命が救われた描写はされるが、実際の京本の命は救われていない。この対比は『ルックバック』を語る上で重要になる。タランティーノと藤本は悲劇に向き合う姿勢が異なっているのだ。タランティーノは、悲劇が起きなかった場合の映画を作り、悲劇が起きなかったもう一つの世界を創造した。そうすることで悲劇が起きてしまった世界の登場人物たちを救済しようとしたのだ。一方で藤本は悲劇が起きなかった世界を想像させる描写をしつつ、実際には悲劇が起こってしまっている映画を作った。つまり悲劇のない場合のもう一つの世界を創造してはいない。一見すると藤野は悲劇が起こった登場人物たちに手を差し伸べてはいないように見える。しかし藤野は悲劇に見舞われた人物たちを見捨てている訳ではない。実際に悲劇が起こってしまったなら、その事実は変えられないというメッセージを私は受け取った。藤野は、変えられない事実を受け入れて前に進む以外、人生に選択肢はないことを提示したのではないだろうか。本作で心を動かされる理由は無意識に伝わってくる藤野タツキの想いによるものなのかもしれない。

総括

『ルックバック』は、アニメ映画に新たな金字塔を打ち立てた傑作だ。さらに押山監督が原画をほぼ一人で描いたという驚きがさらにこの映画を偉大なものにしている。”心揺さぶる”と言う言葉がここまで似合う映画はなかなかお目にかかれないだろう。作品は58分という短さだが、この中にはあらゆる感情が凝縮されている。本作はできるだけ多くの人間に見て欲しい芸術作品だ。

以上。

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