『TRAP』(24)は、『シックス・センス』(99)や『スプリット』(16)、『オールド』(21)などの作品を手がけたM・ナイト・シャマラン監督の心理スリラー映画。『ヴァージン・スーサイズ』(99)や『パール・ハーバー』(01)、近年では『オッペンハイマー』(23)などに出演のジョシュ・ハートネットが主演を務める。また、シャマラン監督の娘サレカが歌手レディ・レイヴン役で出演している。
あらすじ
溺愛する娘ライリーのために、彼女が今夢中の世界的アーティスト、レディ・レイブンが出演するアリーナライブのプラチナチケットを手に入れたクーパー。父親と会場に到着したライリーは、最高の席に大感激。遂にライブが幕を開け、3 万人の観客が熱狂に包まれる中、彼は異変に気付く。異常な数の監視カメラ、会場内外に続々と集結する警察…普通ではない。口の軽いスタッフから「ここだけの秘密」を聞き出すクーパー。指名手配中の切り裂き魔についてタレコミがあり、警察がライブというトラップを仕組んだという。だが、その世間を騒がす残虐な殺人鬼こそ——優しい父親にしか見えないクーパーだった!
殺人鬼パパ
特に彼の賢明さと残酷さが際立つシーンは、油で満たされたフライヤーの温度をマックスまで上げ、その中にガラス瓶を放り込み大事故を起こすシーンだ。手段を選ばずに淡々と行動をする姿はまさに冷酷な殺人鬼だ。その騒ぎに紛れて従業員に変装するクーパーは華麗だが、高温の油による大火傷と飛び散ったガラス片によって大怪我を負った従業員の痛々しい姿には目も当てられない。
彼が逃亡のために取る行動はまさに鬼畜の所業で身震いする。しかしその行動をすぐに思いつく尋常じゃない程早い頭の回転には尊敬の念を抱いてしまう。他人を華麗に欺く言葉と無慈悲で利己的な行動の積み重ねによって、彼は今まで警察から逃げおおせてきたのだ。
歌姫の圧巻のパフォーマンス
クーパーの娘、ライリーは歌姫レディ・レイヴンのライブに参戦するが、本作を観る者もライリーと同じ視点で歌姫のパフォーマンスを体感できる。煌びやかなステージと緻密な演出、そして伸びやかな彼女の歌声とキレのあるダンスはまるで本物のライブを見ているかのようだ。全てが細部まで作り込まれ完成度が高い。歌姫レディ・レイヴン役のサレカ・シャマランだが、彼女はシャマラン監督の実の娘だ。映画の中でライブを行うという発想は、シャマラン監督とサレカが会話している時に生まれたそうだ。シャマラン監督は『オールド』(21)のエンディングに彼女の曲を起用し、同監督のドラマ『サーヴァント ターナー家の子守』(19〜23)でも彼女の曲を7曲使っている。ずぶずぶの親子関係であるが、実の娘を思う気持ちはクーパーの人物像にも生かされているのだろう。そしてサレカの圧巻のパフォーマンスが、シャマラン監督がいかに娘のことを溺愛しているのかを証明している。
二重生活の代償
劇中の立ち回りからみて、クーパーは何度も捕まるピンチを切り抜けてきたことが読み取れる。彼はどんな逆境も切り抜けることができる明晰な頭脳を持っているのだ。しかし劇中で彼は娘の元に定期的に戻ったり、保護者同士の付き合いをしなければならなかったりと忙しない。そのせいでなかなか会場から脱出できない。クーパーの苦労の原因は娘である。つまり彼が娘に愛情を抱いていなければ、会場から抜け出すのはもっと容易だったはずだ。娘を利用して自分だけ逃げる方法だって思いつくはずだ。しかし彼は娘を見捨てなかった。彼は殺人鬼であり、父親なのだ。彼にとってはどちらの顔も本物であり、どちらも大切なアイデンティティなのだ。そして「二兎追うものは一兎をも得ず」ということわざがあるように、クーパーは最後警察に捕まってしまう。しかし彼は諦めない。最後まで彼の貪欲さが怖い。
総括
『TRAP』を一言で言うと、殺人鬼パパの奮闘記だ。娘を守りつつ、起点を効かせたクーパーのピンチの切り抜け方は必見だ。彼の頭の回転の速さには思わず唸ってしまう。相変わらずシャマラン監督のエンターテイメント精神が光っている作品だ。シャマラン監督の他の作品を知らなくとも純粋に楽しめるだろう。シャマラン監督を知っても知らずとも、今作を見てあっと驚く映画体験をして欲しい。
以上。